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なんでやっちゃダメなの?

「なんでやっちゃダメなの?」

この問いに対してよく、「そこのおじさんに怒られるから」ということを言う親がいる。 おじさんに怒られるからダメなのであれば、そのおじさんさえいなければやっていいのだろうか。 おじさんが怒る理由を紐解けば、何らかの不都合がそこにはあるはずであり、それが真の理由なのではないだろうか。

車で道路を走っているときは、果たして警察官もオービスもなければ速度無制限なのだろうか。 そんなことはない。ドライバーには少なくとも周囲の交通に対して重大な危険を生じさせない速度を保つ責任がある。

ルールの裏に隠された、ルールが守ろうとしているものに対して想像力が及んでいないのではなかろうか。 そう感じる場面が少なくない。 同調圧力や相互監視に慣れてしまって、物事の本質を考えられなくなっているのではないだろうか。

確かに一見理不尽なルールもある。しかし、ルールというのは自然発生的なものではないから、完全に根拠なくルールが定められるということは滅多にないだろう。 少なくとも誰かがそのルールが必要だと判断したからルールというのはあるのだ。 自分が間違っていると思っても、あるいは自分が理解できないとしても、それは客観的にルールが間違っていることを必ずしも意味しない。 そしてルールを破れば、最終的には何らかの形で、ルールに従わなかったことの責任を負わされることになるのである。

責任を負わされる、というと、地位や名誉の毀損、あるいは経済的な損失をイメージしがちだが、 工事現場に勝手に入って怪我をしたり、感染症対策を無視して感染症に罹患するなど、警告を無視して身体的な損害を負うのもまた一つの結果責任の形だ。 そのような場面に遭遇して初めて自らの過ちに気づき後悔する人もいるのである。